幸せな事があるとそれだけで生き続けよう思う。

自分には幸せに思う事がいくつかある。

・夏、うだる様な暑さの日、仕事から家に帰ってくる。そこで麦茶に伸びる手を必死で抑え込み、グラスを冷蔵庫にそして体は風呂場へ。キンキンに冷えた麦茶を想像しながら、ひたすら熱いシャワーを浴び続ける。そして逸る気持ちを抑えながら体をタオルで拭き、いざ冷蔵庫と対峙・・・。

上記は一例だが、幸せな事を一つでも持っていれば生きるのもそんなに悪くは無い。


自分は、去年の今頃から夏まで本当にどん底を彷徨っていた。この頃新しい仕事(正社員)も決まり、心機一転の気持ちで行こうと思ったのだが、自分の中では見えない何かが自分を徐々に蝕んでいくのを感じていた。実は結局その正体に関しては未だに結論が出ていないので、その正体を断定的に述べる事は出来ないが、一つの要素としては『自分の理想』が挙げられる。
『理想』は意固地である。そして『理想』は常にギャップを生むものである。
仕事自体が嫌だったとは今も思っていない。むしろ職場環境としてはかなり良い方で、例えば、その会社では仕事が無ければさっさと帰るという事が結構徹底されていて、長時間の残業をした記憶があまり無い*1。もちろん新人で割り当てられた仕事量が少ないのもあるのだが、それでも仕事が無ければ帰れていた。年齢も近い人が多かった。自分にしたら不満はない・・・はずだった。
結論から言えば、その会社には長くいる事が出来なかった。理由は病気で、一時期は食事すら喉を通らず、布団から起き上がる事すらままならないという有様までになった。救いは、会社側の方々が自己都合退職扱いにしてくれたことだろうか。自分の中ではもっと後に響く書き方をさせられると思ったので、これが良かった。
この病気にかかる前、自分は本気で自殺あるいは失踪を考えていた。
ある日の家の最寄り駅。自分はいつも東京方面とは逆の方を見ていた。『この電車に乗れば、かなり遠くまでいける』と心ではいつも思っていた。幸か不幸か自分の服装は外部業者との接触がない部署に所属していた為に、ほぼ私服だった。唯一、持っている鞄だけが会社へ通勤する人を意識させる物で、それも私服に紛れ込めばあまり強く気を惹くような物ではない。
・・・そんな事を繰り返すうちに、いつの間にか自分の心は崩壊寸前にまで追い込まれたのだ。会社側からすれば良い迷惑だ。


今の会社は、前々からお世話になっている会社で勝手知ったる業務内容だ。その上、そこに勤務する中で好きになった人がいるのだ。あのどん底からよく這い上がってきたとは思うのだが、仮にこの恋が実らないとしても、彼女がそこで笑っているだけで何故か満たされる物を感じる。まあ、この恋の仕方は完全に中高生なんだけど、久方ぶりにこんなに人を好きになってしまったのだから、これを大事にする以外に無い。

*1:長くて2時間半くらい