やっぱり好きな人が出来るとしっかりしようと思う。

自分のパーソナルデータとして、恋愛に関しては童貞並の知識しか有しておらず、性欲は未だに中学生レベル。20代半ばにしてこれは正直どうよ?ってレベルなんだが、しかしそれでも好きな人が出来てしまうとやっぱりしっかりしようという気持ちが生まれるようだ。

例えばファッション面。
自分はあまりファッションには興味がなかったのだが、やはり少しでも良く魅せたいという願望は生まれるようで、以前よりは遙かに関心を寄せるようになった。勿論、そのファッションが良いか悪いかというのは別にしてなのだが。少なくとも自分でしっかり選んで買うようにはしてる。まあ以前がステロタイプのオタクに有りがちな『親に服を買ってもらう』というのをやってしまっていたので。
次の目標は美容院に行く事だ。そう、これが意外とハードルが高い。

そういえば自分は以前、異性と話をするのにかなり勇気を使っていたように思える。顔が真っ赤になり心臓は早鐘を打ち、出てくる言葉はしどろもどろ。頭で考えている事と実際に口から放たれる言葉のズレというのは、別にこういう場面だけじゃないのだろうけど、こればっかりはやはり慣れなのだろうとも思う。今の職場は結構長くいるが、段々と女性の比率が上がってきたという経緯がある。それこそ最初に入った頃は、男しかいないむさくるしい体育会系の職場だったのが、今では3分の1以上が女性で、その上入ってくる人も女性がかなり多いのだ。そのような環境においてはいやでも仕事上で話をする場面がある。
私の場合、心の奥底には『女の子と色々話をしたい』という思春期の中学生が持つ感情を有しており、今の状況は『渡りに舟』と言える状況だった。仕事上の話以外でも自分では結構話を出来るようになったのかなって。しかも年齢層が上下に広いから、結構その話の内容も面白かったりするのだ。こんな職場にまさかこんな所でめぐりあえるとは思っても見なかったのだが。ちなみに、今自分が好きな人はその職場にいる年上の人だったりする。同じ北海道で生まれた街こそ違えど、親戚がその好きな人の地方に結構多く住んでいる為に、そこの話で盛り上がったり・・・。

かなり恋をし始めの初々しい状況を披瀝してしまったが、自分としては彼女の存在が自分の生活を律する重要なファクターになっているんだというのは、疑う余地が無い。こうして書いている今でも、『次、どこに遊びに行こうかな』と考えてしまっている自分がいたりするわけで。
恋愛資本主義というのは嫌というほど全方位で感じ陰鬱な気分にさせてくれるが、今、片隅のこの想いだけは大事にしたいと思うのは傲慢なのだろうか?