もしかしたら遺伝子レベルでの問題かもしれない

最近、労組に加入する若い人が増えているとの事。否応なしに今、若い世代は世代闘争に巻き込まれている。相手は座席を後進に譲らずいつまでもその椅子にしがみつく団塊の世代、あるいは自分中心主義がそのまま管理職になり強権的な態度を振舞う氷河期世代。彼らに立ち向かわなければ確実に彼らは世代として没却してしまうし、大きく日本の国力は落ちていくだろう。大体、東大や京大を卒業した人間がニートやってたりフリーターやっている時点で国としては大きな損失なのだ。
かたや、当たり前の権利である有給休暇やサービス残業の撤回などを争う社会人全般。相手はもちろん会社であり政府である。それをやらなければいつまで経っても自殺者や過労死は減らないし、将来への希望は湧いてこないだろう。

だが日本人の性質がここで大きく邪魔をしているように思える。日本人は元来からお上に盾突く行動を余りしてきていないように思える。否、しているのだが結果的には鎮圧されているのだと思う。例えば戦国時代から江戸時代の一揆などがそうであるが、結果として成功した例はあまりない。首謀者は大体処刑されているなどの重罰を課せられている。仮にその結果の後に善後策を上が取ったとしてもその犠牲はあまりにも大きいものであるし、あるいはそのような事が起こってその責任を取る人物は現れても、その事をゴールにしてしまい求めていた成果は玉虫色へと変化してしまうのだ。責任が矮小化してしまうのだ。
海外、特にヨーロッパであれば民衆が勝ち取った権利などは数多ある。民衆が民衆自身が動けば結果は変わるかもしれないという事実を彼らは無意識に歴史から学び取っているのではないかと思う。古くはフランス革命、新しいところでは東欧革命になるのだろうか。指導者などはインテリ層ではあっても大多数は専門的知識を余り有しない民衆なのだ。

もし日本人がヨーロッパの民衆と同じメンタリティを持っていたら、今までに何回大規模な運動が発生していただろうか。国民の運動が無い限り、政治もまるで何もしようとはしないだろう。政治とは何もしないかインクリメンタリズムこそ善で、急進主義は悪なのだ。その意識を持っていない限り我々がいくら今の民主政権を批判しようがそれは自分達が生み出した物であり、結局自己責任論に落ち着いてしまうのだ。

誰かが言っていたが、今の経営者と正規労働者と非正規労働者というのは完全に身分制と意を同一にしていると見ていいと思う。そしてこのままでいけばその身分制はますます強化されるだろう。しかしその身分制は上から決められたものではなく、自分達が何もせずに傍観した結果生み出したものに他ならない。非正規労働者はだんだん気づき始めているみたいだが、正規労働者は既得権を離すまいとして必死の人もいる。それをまず離さない限り日本のリスタートはないのではないかと考える。長期的に見れば今の日本の状態が将来に向かってプラスに働くことはまず考えられない。